
国際会議登壇予定だった方々からの
メッセージ
仏南西ランド地方出身。ビストロから3ツ星まで世界11カ国で約30のレストランを統括する他、一貫生産のショコラ工房とカフェ工房も展開。また、欧州500以上のレストランとホテルが加盟するネットワークや、料理・製菓学校、料理本の出版社を設立し、知識の伝承に務める。食べる人の健康と地球環境への敬意、料理人が果たすべき社会的責任、個人農家の保護を提唱し、シェフと質の高い生産者が集う団体「コレージュ・キュリネール」を創設。この思想を具現化したガストロノミー料理“ナチュラリテ”に続き、よりカジュアルな“Sapid”も展開。
フランス、レスカン出身15歳になると地元の料理学校に通います。厳しい修練を経て、更に技を磨くためにパリの三ツ星レストランで見習いとして働き始め、アラン・パッサールなど錚々たるシェフのもとで腕を磨く。そして2012年、ミッシェル・トロワグロに東京でミシュランの星を獲得しているレストランのエグゼクティブシェフのポストにスカウトされ、柑橘類、ビネガー、オリーブオイル、ハーブやスパイスを巧妙に用いた素材本来の味を引き出す料理で名を馳せることとなる。2020年よりフォーシーズンズホテル東京大手町の「est」 で、日本のテロワール(産地)の食材に対する深い尊敬のもとにインスパイアされた革新的なフレンチを提供。
「レストラン バスク」(北海道・函館)シェフ・店主。 現代スペイン料理界の第一人者のひとり。スペインバスクで、ルイス・イリサール氏に師事し、料理修業ののち帰国。1981年、故郷の函館に「レストラン バスク」をオープン。2004年、飲み食べ歩きイベント「バル街」を発案し、この取り組みが全国へ。2009年からは「世界料理学会in HAKODATE」を開催し、これまでに9回開催した。
ロレオール田野畑 オーナーシェフ。羽田空港の中のレストランに勤務の後、1995年に妻の出身地である岩手県前沢区に移住し、「牛の博物館」に併設するレストラン店長兼シェフに就任。 2016年からは、田野畑村に「ロレオール田野畑」をOPEN。地元食材を使ったフランス料理の提供と並行し、食のプロフェッショナルアドバイザー、いわて地産地消推進会議委員長を歴任し、地域の活性化に寄与。 2011年には、地域に根差した活動と優れた技術が評価され、料理人顕彰制度「料理マスターズブロンズ賞」を、2017年11月には、「同シルバー賞」を受賞。
1964年東京生まれ、鎌倉育ち。18歳で料理人としてのキャリアをスタート。1988年に渡仏後は数々の店で修行を重ねる。アラン・デュカスの右腕であるフランク・セルッティとは10年以上ともに働き、モナコ「ル・ルイ・キャーンズ アラン・デュカス」では3年間副料理長を務めた。「世界で最も私の料理哲学を理解し、実践する日本人シェフ」とアラン・デュカスの信頼は厚い。2008年に帰国、「ビストロ ブノワ」の料理長を経て、2010年より「ベージュ アラン・デュカス 東京」の総料理長。
幼少期から祖父の農作業をよく手伝っていたため、農業に関心を持ち就農を決意。高校卒業後、県立農業大学校に進学、研修受入経営体で1年の研修を経て就農。普代村で「マルハ農園」を立ち上げ、農業の若き担い手として、久慈地方の特産品である「ほうれんそう」を露地栽培とハウス栽培を併用しながら、1年を通じて安定生産を行っている。地域の生産振興に向け、夏期栽培技術調査や寒締めほうれんそうの移植栽培試験にも積極的に取り組んでいる。
1976年。福岡県生まれ。22歳でフランス料理の道に入り、東京六本木のレストランを経て、24歳で渡仏。フランシュ・コンテ地方の1つ星、パリ、ヴィオロンダングル(当時2つ星)、レガラード(ビストロ)、タイユヴァン(当時3つ星)、プラザアテネなどで修行し、28歳で帰国、ブノワ東京でスーシェフ。大阪、ルコントワールドブノワで料理長に。35歳で、大阪北浜にエッサンシエルを開業。2022年春で10周年を迎える。
1976年、神奈川県出身。東京・西麻布の【香港ガーデン】でキャリアをスタート。香港出身の料理人の元で広東料理の腕を磨き、28歳の時、広東料理の名店【福臨門魚翅海鮮酒家 二子玉川店】で同グループ初の日本人料理長となる。2011年の東日本大震災後、「料理人としての復興支援」を模索し、仙台に移住。2014年に自店を荒町で創業し、2016年に今の向山に移転。地物食材を使ったハイレベルの中国料理を繰り出す。
「LA CASA DI Tetsuo Ota」(長野県・軽井沢)オーナーシェフ。19歳でイタリアに渡り、その後スペイン「エル・ブジ」、ペルー「アストリッド・イ・ガストン」など3ヵ国で通算10年以上勤務。その後、土着の食文化を求めて単身ペルー・アマゾンへ。帰国後は料理教室を主宰、飲食店にカカオを紹介する活動を行う。
岩手県野田村出身。高校を卒業後、服部栄養専門学校。卒業後、株式会社ひらまつへ入社。ミシュラン星付きの名店である代官山リストランテASOをはじめ、都内のASO系列店舗(銀座、二子玉川)で研鑽を積む。2016年に帰郷し、地産地消レストラン“Osteria vai-getsu”をオープン。荒海ホタテ・山ぶどう・野菜などの生産にも携わる。食の宝庫である、三陸・野田村。季節ごとに地元で採れる食材からメニューを考えて提供している。
牡蠣養殖業を営む傍ら、豊かな海を取り戻すため、漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人運動」を続ける。また、環境教育の一助として全国から子どもたちを養殖場に受け入れている。2003年緑化推進功労者内閣総理大臣表彰、2012年国連森林フォーラム「フォレスト・ヒーローズ」を受賞。
1978 年神奈川県生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒。編集プロダクションを経て、2005年に食の総合出版社である株式会社柴田書店に入社。2012年よりプロの料理人向けの専門誌「月刊専門料理」編集長を務める。なお、「月刊専門料理」は、今年で創刊55年を迎えた。
柿木畜産の2代目として、約250頭の短角牛を飼育。その土地で生まれた牛が、その土地でできたもので育つことにこだわり、自家栽培のトウモロコシを葉や茎ごと断裁して発酵させた粗飼料や、北東北産の穀類、豆類を使用し飼育。「短角牛を知って欲しい!」という思いから、独自のCSA(短角牛大好き倶楽部)に取組み、消費者への直接販売を行う。闘牛用の雄牛を飼育し、久慈市山形町で行われる闘牛大会へも参加。
ホタテ漁師の父の後を継ぎ20歳から漁の世界に入る。震災で漁業に壊滅的な打撃を受けた野田村でホタテ漁に活路を見出したのが、2014年結成の「荒海団」。その中心人物として、野田村のブランドホタテ「荒海ホタテ」の養殖を行う。野田湾で採取した稚貝のみを使用し、海が荒くても、手間がかかっても、水がきれいでエサが豊富な外海での養殖にこだわり、おいしいホタテを届けるために日々奮闘している。
幼少期から祖父の農作業をよく手伝っていたため、農業に関心を持ち就農を決意。高校卒業後、県立農業大学校に進学、研修受入経営体で1年の研修を経て就農。普代村で「マルハ農園」を立ち上げ、農業の若き担い手として、久慈地方の特産品である「ほうれんそう」を露地栽培とハウス栽培を併用しながら、1年を通じて安定生産を行っている。地域の生産振興に向け、夏期栽培技術調査や寒締めほうれんそうの移植栽培試験にも積極的に取り組んでいる。
本来、国際会議に出演し事例発表を行う予定だった久慈市の特産品「ウニ」をテーマとした研究内容を収録いたしました。
夏井大梵天神楽は、大梵天神を主祭神として文和3年南北朝時代以来、山伏修験者により夏井町大宝院に於いて舞い継がれてきました。昔から正月にの家々を巡行し、悪魔をい、家運長久を祈り、鎮魂の舞曲として代々受け継がれ、昭和53年に夏井大梵天神楽保存会を組織。平成11年に岩手県指定無形民俗文化財に指定されました。地元の夏井中学校では、全校で夏井大梵天神楽の伝承活動に取り組み、保存会から直接指導を受けながら練習を重ね、全校生徒が舞を習得し、学校の文化祭や、市郷土芸能祭等の舞台で夏井大梵天神楽を披露しています。